「ホッととくするお寺」法徳寺

-供養と祈りのお寺-

この身を捨てる覚悟ありてこそ|ほんとうの報恩とは何か?

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約6分
この身を捨てる覚悟ありてこそ|ほんとうの報恩とは何か?
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今回は、日蓮聖人のお手紙『佐渡御勘気鈔(さどごかんきしょう)』というお手紙のお話をしていきたいと思います。
人生生きておりますと、決断するときって必ず来ると思います。そういうときに≪どう覚悟していくか≫を考えていきます。

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前回、日蓮聖人のお手紙『松野殿御返事(まつのどのごへんじ)』というお手紙を読み、≪まことの道を求める≫についてお話させていただきました。

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さて、今回は≪どう覚悟していくか≫についてです。

法徳寺の朝のおつとめの際、お経を読んで、日蓮聖人のお手紙をお読みします。

毎月≪4日≫にお読みしている日蓮聖人のお手紙。

それが今回、紹介させていただく『佐渡御勘気鈔』です。

日蓮聖人は、文永8年(1271)9月12日夜半、龍ノ口で断罪される寸前にまでたちいたりましたが、法華経の行者を守護する諸天善神の加護によって、からくも虎口を脱しました。

そして佐渡の守護代の本間氏の館がある依智(現在の神奈川県厚木市)で約1か月を過ごされました。

このご文章は、10月10日、流罪の地、佐渡へ出発する前に書かれたお手紙の一節です。

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  • 諸天善神の加護
    仏法を守護する大梵天王・帝釈天王・日天・月天・天照大神・八幡大菩薩などの諸天や善神が法華経の行者を守護すること。法華経のなかで、諸天善神が法華経を弘める者を守護することをお釈迦さまに誓っている。法徳寺でも、鬼子母尊神や魔訶伽羅福寿大黒尊天をおまつりしている。
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この記事のもくじ

佐渡御勘気鈔の原文と意訳

佐渡御勘気鈔

佐渡御勘気鈔にいわく

本より学文し候(そうらい)し事は仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う。

仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏になり候らめと、おしはからる。

(文永8年 依智にて 御年50歳 昭和定本遺文510ページ)

POINT佐渡御勘気鈔の【意訳】

改めて言うまでもないことだが、仏道研鑽につとめてきたのは、仏教の奥義を究めて遂に仏道を完成し、さまざまに恩を受けた人たちが仏道に到達するよう助けたいと思うからにほかならない。

仏道を完成し、成仏をなしとげるためには、どうしても自分の身命を捨てきってその覚悟をもって法を求めてこそ、はじめて仏道を完成することができるものだということが、(日蓮自身の法難によって)推察し、確認されるのである。

日蓮聖人のご生涯

日蓮聖人のご生涯

他のひとから、たまに日蓮聖人のことについてお伺いすることがあります。

世間の人は、だいたい、日蓮聖人のご生涯の表面的な行動の激しさだけをみて、日蓮聖人を内面から動かしていった宗教的契機に思いを寄せようとはしません。

報恩とは、人間として生かされている恩に報いることです。恩に報いるというと、一般には親に孝、君に忠ということになり、時代が変わったのにそんなことが手本になるのだろうか、という疑問を起す人もいるかもしれません。

[box class="blue_box" title="報恩とは"]

報恩とは、生かされているという恩に報いること。感謝すること。

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感謝は誰にするものでしょうか?

右手と左手を合わせると合掌になります

けれども、どんなに時代が変わり、社会が発展したとしても、人間社会は、一人ひとりが生かされていることへの感謝なくしてはなりたちません。

しかもその感謝は、ただ社会生活のうえでの恩義だけを対象にするのでは、ほんとうの感謝、すなわち「真実の報恩」にはなりません。

日蓮聖人は「」という言葉、「」という言葉を用いられますが、真実の報恩、最高の「」の意義づけは、お釈迦さまがお示しくださった「法華経の救い」に恩ある人を導き、その救いのなかにあらしめることです。

そのような「法華経の救い」にあらしめることこそ、その人への全ての人間の感謝となるものだからです。

[box class="blue_box" title="本当の報恩とは?"]

恩ある人を「法華経の救い」にあらしめること

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困難を乗り越えることこそ法華経の精神

困難を乗り越えようとすることって大切ですよね

日蓮聖人はそれらの恩分に一つひとつ報いようとはなされませんでした。

そうではなくて、それらの人びとに本当の救いを得させるために、日蓮聖人は必死にお釈迦さまの「み心」を問いたずね、仏教の奥義に迫ろうと努力なさったのです。

そうして、「法華経の救い」の確立に到達なさったのです。

しかも、そのような精進をするということは、かならず一切の執着を離れ、身命をなげうつということでなければなりません。

日蓮聖人の大難四箇度小難数知れずのご生涯はまさにそれを示したものです。

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  • 大難四箇度小難数知れず
    日蓮聖人のご生涯が、松葉ケ谷法難・東条(小松原)法難・伊豆流罪・佐渡流罪の四大法難を中心に、数えきれないほどの迫害の連続であったこと
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日蓮聖人の弟子というのは、真実の人生を切り開くためには、どんな障害をも恐れてはなりません。

それを乗り超えてこそ真実の世界が開けてくるのであり、かならず困難を乗り越える力が与えられるのであります。

[box class="blue_box" title="覚悟をするためには・・"]

そんな障害も恐れず、困難を乗り越えようとする姿勢が大切

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📢法徳寺では、毎朝、おつとめを行っております!!

[日時]毎日 6:30~7:00

[場所]法徳寺(上記アクセスを参照にしてください)

※お問い合わせは、下記≪お問合せボタン≫を押してください。

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以上、

この身を捨てる覚悟ありてこそ|ほんとうの報恩とは何か?

でした。

お読みいただき有難うございました。

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次回は、日蓮聖人のお手紙『諸法実相鈔(しょほうじっそうしょう)』というお手紙を読み、何事も行動を起こすときに気を付けることについて書いていきます。

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