昨年の冬(だいぶ前の話ですが)、「お寺deお茶しながら、冬至について学びませんか?」というイベントに参加していただいたある方から、こういうご感想を頂戴しました。
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[kanren2 postid="818,761"]※ブログの内容に合わせるために少し、表現を変えさせていただいております
ゆうづうって何だか良い言葉ですね。
ヒントになりそうです。
「柚子」と「融通」は半分、言葉遊びのようだけども昔から仏教の教えでよく出てきます。
言葉は違いますけど、法華経にも「質直意柔軟(しちじきいにゅうなん)」といって、自分の我を張らず、広く柔軟に物事をみましょうねという教えがあります。
とっても有難い、このご感想をもとに、もう少し内容を掘り下げていけたらと思います。
この記事のもくじ
融通は柔軟にものごとをみること
融通ってよく「融通が利く」とかってよく聞きますよね。
この融通って、よくその時その時で臨機応変に動いて、物事を上手く流れるようにするなどの意味合いで使われます。
大集経というお経の中に、「染(けが)れた迷いと浄(きよ)い悟りとは融通(ゆうづう)して一体である」といって、別々のものがとけ合って一体となるなどのことをいいます。
お釈迦さまは、その1代で様々な教えを残されました。
それらの教えは、世の中の人たちを救うためにお説きになったのです。
法華経の中に「質直意柔軟」という教えが出てきます
先ほどもお伝えさせていただきましたが、法華経というお経の中にも、「質直意柔軟」という言葉が出てきます。
素直に、ココロをやわらかくすること
素直って大切ですよね。
たとえば、あなたがお仕事をしていて上司から指導をされたとします。
それを素直に受け止めて、真摯に受け取れば、自分の成長につながるでしょう。
しかし、反対に「自分の方が正しい」と凝り固まってしまっては、今の自分から成長が望めません。
仮に、上司の指摘した内容が、正しいないことだとしても、仲間とそのことに話し合い共有していくことで、自分やグループの成長になります。
ただ、
- 上司の言っていることが正しい
- 言うことを聞かないといけない
といっているのではありません。
大切なことは、「コミュニケーション」です。
副住職の私も、上司であり師匠にあたる住職とは意見も違うこともありますが、色々と話し合い、色々議論し、納得したことは素直に認め、実行していくようにしております。
我を張り過ぎたら、切れてしまいます
琵琶の弦(げん)は強くしめると切れてしまう
弱くしめれば音色が悪い
琵琶の弦は中ほどにしめると音色がよい
要は、何事も「程よく」が良いのですね。
仏教では、中道という教えがあります。
自分の対立している相手を仲立ちして、それらの意見を越えること
そのため、「自分が自分が」と自分が正しい。
相手が間違っているという考え方も「自分なんて」と自分を否定するような考え方でも苦しみがなくなりません。
ポイントは程よく、適当に自分を認めていくことが大切なのではないでしょうか?
少しでも、あなたの参考になっていただければ幸いです。
以上、
「自分の我を張らず、柔軟に物事をみませんか?|「質直意柔軟」の教え」
でした。
お読み頂き有難うございました。
「自分は○○しないといけないんだ」と考えてしまいがちな方に、少しでも気持ちを軽くしてほしい内容です。