今回は、日蓮聖人のお手紙『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』のお話をしていきたいと思います。
私たちは、この娑婆世界という苦しみの世界で、常に仏さまに見守られながら生活しております。そのことを自覚されると心が強くなったり、安らかになったりします。
前回は、日蓮聖人のお手紙『随自意御書(ずいじいごしょ)』というお手紙を読み、≪素直な気持ちが大切≫というお話をさせていただきました。
今回は、≪仏さまは、あなたの心の中におります≫ということについてお伝えしていきたいと思います。
法徳寺の朝のおつとめのとき、お経を読んで、日蓮聖人のお手紙を読んでおります。
毎月≪8日≫にお読みしている日蓮聖人のお手紙。
それが、今回ご紹介させていただく『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』です。
どんな宗派の仏教でも目的はひとつです。
それは「さとり」を得て、仏さまになるということです。
「さとり」を得て、仏さまになること
[/box]法徳寺は、日蓮宗のお寺ですから、当然、開祖である日蓮聖人の教えを大切にしております。
その日蓮聖人は、この「さとり」について、どういう風にお考えになっていたのでしょうか?
この記事のもくじ
観心本尊抄の原本と【意訳】
観心本尊抄にいわく
天晴れぬれば地明らかなり。
法華を識(し)る者は世法を得べきか。
一念三千を識らざる者には仏大慈悲をお越し、五字の内に此(こ)の珠をつつみ、末代幼稚の頸(くび)にかけさしめたもう。
四大菩薩の此の人を守護したまわんこと、太公周公の成王を摂扶(しょうぶ)し、四皓(しこう)が恵帝に侍奉(じぶ)せしに異ならざるものなり。
(文永10年 佐渡一谷にて 御年52歳 昭和定本遺文720ページ)
POINT観心本尊抄の【意訳】
天(空)が晴れるならば大地は曇りなく明るくなる。
(そのように)法華経の教えをしっかりとわきまえる者は世間の法を自分のものとすることができるものであろうか。
(すなわち)法華経の教えの根本である一念三千の法門を理解できない衆生をあわれんで仏陀釈尊は大慈悲の心を起し、妙法蓮華経の五字のなかにこの一念三千の珠をつつんで、宗教的に未熟な末代の私たちの頸におかけくださっておられる。
(そして)本化地涌の菩薩のリーダーである上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩が、一念三千の教理を知ることなき衆生をお守りくださるありさまは、
(あたかも)中国周代のはじめに出た賢人、太公望と周の文王の子、周公旦とか、幼い成王を扶翼したこと、また商山に篭(こも)っていた4人の老臣が、幼い恵帝に仕えたことと同じなのである。
[aside type="normal"]- 一念三千の法門
中国の天台大師が『魔訶止観(まかしかん)』で明らかにした教え。
日蓮聖人は法華経如来寿量品で永遠のお釈迦さまが明らかにされて、この教えも真実のものとなるとされた。 - 大慈悲
お釈迦さまが私たち凡人を限りなく深い慈愛でつつんでくださっていること。 - 末代衆生
私たちのこと。お釈迦さまの教えが失われつつある暗黒の時代に生きる人びとのこと。 - 四大菩薩
末代・末法の世に法華経を布教することを使命として、法華経従地湧出品において地中から湧出した菩薩たちを代表する上行・無辺行・浄行・安立行の徳の高い4人の菩薩のこと。 - 太公望
中国の政治家。文武両道に通じて文王、武王の二代の王に仕え、また師ともなった忠臣。 - 周公旦
中国周の政治家。武王が亡くなると、幼い成王をたすけて周室を守りうけついだ。 - 成王
周の武王の子ども。小さいときに父親を失ったが、周公旦のたすけをかりて政治をつかさどり、徳政を行った。 - 恵帝
中国の前漢2代目の皇帝で高祖(劉邦)と呂皇后の長子。高祖には戚夫人という寵姫があり、趙という子を生んでいた。戚夫人は、恵帝に代えて趙を大子にしようと計ったがならず、四皓(髪が白い4人の家臣)の尽力により、恵帝が即位いた。
「仏教」≒「さとり」?
仏教というと、反射的に「さとり」という言葉が返ってきます。
このお手紙のなかに示される「一念三千」の教えは、中国の天台大師が「さとり」を求める原理として発見したものでした。
けれども私たちは凡人です。
はたして「一念三千の原理」という難しい教えを体得することができるでしょうか。
私たちのような未熟な者が、釈尊と同じような修行をして同じような「おさとり」に到達することが可能でしょうか。
この疑問は、昔からいつも問題点としてありました。
日蓮聖人の示された答え
日蓮聖人は、そのような私たちの凡人の救いを指し示してくれました。
法華経の文底にひそめられているという教え、「自己の一念三千に三千の法界を具す」という教えの意味を問いあらためました。
そして、私たちが仏さまのお救いの中にあること、またその仏さまは私たちの心の中にましますことを確かめてくださったのであります。
その「ホトケの心」をいうものは、どのような人にでもあるのです。
それが救いになっていくのです。
その救いは、まさに「一念三千の珠」を内包した南無妙法蓮華経のお題目を持つことによって確かなものとなるのです。
また、その信仰によって諸仏・諸菩薩・諸賢聖の守護のなかに包まれるのです。
それほどの、仏さまのあわれみと慈しみ「慈悲」の心の中に、私たちは温かくつつまれているのです。
このかぎりない法華経の救いを、私たちは、素直に、そして真剣に受けとめてゆきたいものです。
日蓮聖人の心の底からの願い
さあ、どんな苦難があろうとも、私たちは仏さまの大慈悲に感謝をささげ、その偉大なる救いを信じていきましょう。
そう信じることが、法華経・仏さまの「さとり」と一体になることなのです。
どんな苦難があっても、仏さまの大慈悲に感謝をささげ、その偉大なる救いを信じる。
⇒法華経・仏さまの「さとり」と一体になる
このお手紙は、日蓮聖人の心の底からの願いを示された『観心本尊抄』の大切な結びの一節なのです。
[aside type="normal"]- 観心本尊抄
日蓮聖人が佐渡流罪中に執筆された重要著作で、人開顕(にんかいけん)の書と呼ばれている『開目抄』に対して、法開顕の書とされる。
📢法徳寺では、仏さまの大慈悲に感謝をささげ、その偉大なる恩恵を受けるために、毎月≪8日≫にお題目修行・ご祈祷を行っております。
[日時]毎月8日
[場所]法徳寺(上記アクセスを参照にしてください)
※お問い合わせは、下記≪お問合せボタン🔘≫を押してください。
以上、
「み仏は心の中にまします|「さとり」とは一体どういうことなの?」
でした。
お読みいただき有難うございました。