今回は、日蓮聖人のお手紙『諸法実相鈔(しょほうじっそうしょう)』というお手紙のお話をしていきたいと思います。
何事も行う際には、ある2つのことに気をつけなければなりません。
一体、それは何でしょうか?
前回は、日蓮聖人のお手紙『佐渡御勘気鈔(さどごかんきしょう)』というお手紙を読み、決断するとき≪どう覚悟していくか≫についてお話させていただきました。
[kanren postid="1005"]さて、今回は≪正しい努力をするようにしましょう≫ということついてお話していきたいと思います。
日蓮宗の御本尊はどういうものかご存知でしょうか?
法華経を信仰する者として、まず第一に大切なことは、日蓮聖人が法華経の救いの世界を書きあらわした大曼荼羅御本尊を素直に信じることです。
[aside type="normal"]- 大曼荼羅御本尊
法華経如来寿量品にはお釈迦さまの教化が説き示される。大曼荼羅御本尊はお釈迦さまの三世にわたる法華経の救いと、その常説法のありさまを日蓮聖人が書きあらわして、末代の凡夫の帰命する本尊として指し示されたもの。
この記事のもくじ
『諸法実相鈔』の原文と【意訳】
諸法実相鈔にいわく
一閻浮提(いちえんぶだい)第一の御本尊を信じさせ給え。
あいかまえて、あいかまえて、信心つよく候て三仏の守護をこうむらせ給うべし。
行学の二道をはげみ候べし。
行学たえなば仏法はあるべからず。
我もいたし人をも教化候(そうら)え。
行学は信心よりおこるべく候。
力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。
(文永10年 佐渡一谷にて 御年52歳 昭和定本遺文728ページ)
POINT諸法実相鈔の【意訳】
大曼荼羅御本尊は世界第一の御本尊である。
この私たち人間世界に示された第一の御本尊を信じなさい。
気をつけて、気をつけて、しっかりした心がまえで、信心を強くして教主釈尊と、法華経が真実の法であると証明した多宝如来、法華経をほめ讃えた十方分身の諸仏との三仏の守護を受けなさい。
法華経のふみ行いと習学との二道を励みなさい。
その二つの道が行われなくなったならば、仏法は存在しなくなるのである。
だから、自分自身も二道を励み、他人に対して教化なさい。
行学の二道は信心から起こりうるのです。
自分の器量のおよぶところ、たとえ一句であっても語りなさい。
[aside type="normal"]- 第一の御本尊
日蓮聖人の書き顕された大曼荼羅御本尊が最もすばらしい真実の本尊であること。大曼荼羅御本尊は法華経の救済の世界が顕されたもので、娑婆世界に生きる私たちも久遠実成のお釈迦さまの温かいみ心によって救われることが示されている。 - 教主釈尊
主・師・親のすぐれた徳を兼ね備え、永遠の生命をもって私たちを導くお釈迦さまのこと。お釈迦さまはすぐれた徳によって私たち衆生を守り、導き、慈愛してくださるのであり、この三徳を備えるのはお釈迦さまだけである。 - 多宝如来
東方宝浄世界の仏陀。法華経宝塔品のなかで、光り輝く多宝塔とともに出現して、お釈迦さまの説く法華経が真実の教えであることを証明し、お釈迦さまを褒めたたえる。 - 十方分身の諸仏
久遠の生命をもつお釈迦さまが、偉大な精神力をもって化現していた分身の仏。十方の仏土で教化にあたる。
いろいろな菩薩たちが守護してくれるようになった由縁
お釈迦さまが法華経をお説きになったとき、多宝如来という仏さまがそれを真実の法であると証明し、あらゆる世界に法を説くお釈迦さまの分身仏がそれを讃(たた)えました。
それのみならず、お釈迦さまの弟子である本化上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩、十大弟子ら迹化の菩薩など、すべての仏道修行が法華経の教えに感激し、私たち法華経を信ずる者を守護すると誓ったのです。
- 本化上行菩薩
法華経を末法という濁悪の世に弘めるという使命をもって地中から湧出した徳の高い菩薩のこと。日蓮聖人はご自身が上行菩薩の生まれかわりという自覚のもと、苦しくとも実り多い法華経の布教をすすめていかれた。 - 迹化
「迹」とは「本」に対する言葉。迹化とは垂迹の化導のことをいう。仏や菩薩がその本地に近づくことのできない衆生を救済するために、仮に神として姿を現すこと。
内容が難しいですが、法華経はイメージが大切です。
想像力を働かせてみてください。
こういう法華経の場面を表現するのって素敵ですね。
まーるい形
大曼荼羅御本尊は、このような法華経の「み教え」をすべて完全に欠けることなくあらわしています。
まるい円や球のような状態です。
このように、大曼荼羅御本尊は、法華経が永遠に説き明かされているありさまを描いているだけでなく、久遠のお釈迦さまの最後の救いの場所を指し示しております。
これを≪霊山浄土≫といいます。
私たちは、この大曼荼羅御本尊によって、法華経がお釈迦さまの教えの極地であることを確かめるとともに、私たちの最後の救いの場であると同時に、法華経が永遠に説きつづけられている浄土、≪霊山浄土≫にあることを素直に、そして真剣に信じなければなりません。
立像=ご本尊?
日蓮聖人はご生涯にわたって立像のお釈迦さまの木像にお仕えになりました。
また、木像のお釈迦さまを≪開眼≫なさいました。
そのようなお釈迦さまの木像も、この大曼荼羅の世界と一体なのであります。
ですから、このお釈迦さまに礼拝するとき、大曼荼羅を礼拝するのと同じになるのであります。
こう考えてみると≪開眼≫って大切だと感じます。
お位牌やお仏壇なんかも≪開眼≫しないとただのモノですもんね。
正しい努力をしましょう
さて、今回の本題ですが、あなたは努力をするときにどういうことに気を付けるでしょうか?
私たちが法華経を信じ、救いを受けるために気を付けることは、教えを「行うこと」と「習学すること」の二つの道すじを踏まえなければならないのです。
いわば「行」と「学」です。
この「行」と「学」とは一体何なのでしょうか?
ついつい私たちは、「行」と「学」をカンタンに区別してしまいがちですが、法華経の精神を体現しようと努力精進してゆくにつれて、法華経の教えを学ばねばならなくなるのです。
そうした精神へと私たちをつき動かすものは信心なのです。
逆に言えば、それぞれの分に応じた行学二道がない信心は、ホントの信心とは言えないのだというきびしいおさとしが今回のお手紙で見てとられます。
このことを踏まえて考えてみると、努力するときに気を付けることは≪きちんと目標を見定めなければならない≫ですね。
どんなに頑張っても、チグハグな努力では実りのあるモノにはなかなかなりません。
[box class="blue_box" title="「行」と「学」とは"]✔「行」 法華経の精神を体現すること
✔「学」 法華経の教えを学ぶこと
⇒どちらも大切だが、「信心」が必要。
[/box]車で例えてみると、
- 「行」 アクセル
- 「学」 ハンドル
- 「信心」 ガソリン
と、いったところでしょうか?
📢法徳寺では、よりよいドライブができるように、毎月≪18日≫に唱題行(お題目修行)を行っております。
[日時]毎月18日 19:00~20:00
[場所]法徳寺(上記のアクセスを参照にしてください)
※お問合わせは、下記≪お問い合わせボタン≫🔘を押してください。
以上、
「正しい努力をするようにしましょう|信心に励み努力精進せよ」
でした。
お読みいただき有難うございました!!
[/voice]次回は、『妙一尼御前御返事(みょういちあまごぜんごへんじ)』というお手紙を読み、≪信心≫といわれるものは一体どういうものか、考えていきたいと思います。
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