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「死」を見つめて生きてみませんか?|今世だけではないんです

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今回は、日蓮聖人のお手紙『妙法尼御前御返事(みょうほうあまごぜんごへんじ)』というお手紙のお話をしていきたいと思います。
生きとし生けるものが、必ずいつかは来る≪≫について考えていきたいと思います。

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前回、日蓮聖人のお手紙『法華取要抄(ほっけしゅようしょう)』というお手紙を読み、≪仏さまを信じるポイント≫についてお話させていただきました。

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さて、今回は≪≫についてです。

法徳寺の朝のおつとめの際、お経を読んで、日蓮聖人のお手紙をお読みします。

毎月≪2日≫にお読みしている日蓮聖人のお手紙。

それが今回、紹介させていただく『妙法尼御前御返事』です。

人の生命ほど尊いものはないといわれています。

だからこそ、人間にとって「死を迎える」「生涯を終える」ということが厳粛にうけとめられねばならないのです。

けれども、死が来ると、あたかも終わりが来てしまうような、そんな気がしますよね。

この記事のもくじ

妙法尼御前御返事の原文と意訳

妙法尼御前御返事

妙法尼御前御返事にいわく

日蓮幼少の時より仏法を学び候(そうらい)しが念願すらく、人の寿命は無常なり。出(い)づる気(いき)は入(い)る気(いき)を待つことなし。

風の前の露(つゆ)、なお譬(たと)えにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。されば先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし。

(弘安元年 身延にて 御年57歳 昭和定本遺文1535ページ)

POINT妙法尼御前御返事【意訳】

日蓮は小さい時から仏法を学んできたが、ひたすら願い望みつづけたことはそれぞれの人の生命は無常であり、(お経に説かれているように)やがて吐く息ばかりになって息を吸うことはできなくなる。

人の生命のはかなさは、風に吹かれる露よりも、より「はかないもの」。

賢い人も愚かな人も、老人も青年も、いつ生命を喪(うしな)うかわからない。

そのように何事もはかないのが世の常なのであるから、人はまず死に対面する心構えについて教えを受けて、その後に他のことを学ばなければならないということなのである。

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人生の積極的な営みはまさに≪人が死を迎える瞬間≫にこそ確かめられる

積極的な営みが大切なのですね

ここに日蓮聖人が「まず臨終のことを習って、後に他の事を習うように」といわれるのは、人はいつ死ぬか分からないつまらない存在だと仰せになっているのではありません。

むしろ逆に、人生は無常だということを認めたうえで、人生の積極的な営みはまさに人が死を迎える瞬間にこそ確かめられるものであることを断言していらっしゃるのではないでしょうか。

過去世・現在世・未来世の三世を一貫する生命

私たちの生命とは

法華経は、私たちの生命が、過去世現在世未来世三世を一貫する生命であることを示してくださっています。

[box class="blue_box" title="私たちの生命について"]

三世

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しかし、私たちが今生の人生のささやかな幸せだけに安心しているとすれば、それは草の葉の露と同じようないつ覆えるとも分からない状態にあるわけです。

人は、仕事や学校、病気などついつい目先のことの生活することにいっぱいいっぱいになってしまいがちです。

それが故に、どうしても目の前「今が良ければそれでよい」という考え方に陥ってしまいがちです。

≪死≫は単なる人生の終わりではない

≪死≫はたんなる人生の終わりではないって?

しかし、法華経の教えのように、私たちの生命が過去世・現在世・未来世と一貫していることを確かめるならば、死は単なる≪人生の終り≫ではないはずです。

また、それだからこそ、死を迎えることを覚悟した人生の営みの素晴らしさがあるといえましょう。

死は、たしかに私たちにとって、行方の分からないひとつの終焉です。

しかし、それは人生を一瞬に凝縮した時間であるといえましょう。

だからこそ、一所懸命に人生を築きあげてゆかなければならないのではないでしょうか。

」を厳粛なものとして受けとること、そのまじめな態度こそ、悪への誘惑の多い私たちの人生を正しく導き、仏教を受けとる最初の踏み台なのです。

📢法徳寺では、毎月≪28日≫にカンタンな法話会を行っております!!

[日時]毎月28日 19:00~20:00

[場所]法徳寺(上記のアクセスを参照にしてください)

※お問い合わせは、下記≪お問合せボタン≫を押してください

今後は、動画配信とかもしていったら面白いかもしれません。

今回のようなお話も行い、その後、お参りくださっている方と意見を交換して、また次回の≪28日≫に活かしていく・・・

そういう風にしていきたいと考えております。

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以上、
「死」を見つめて生きてみませんか?|今世だけではないんです
でした。
お読みいただき有難うございました。

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次回は、『妙法尼御前御返事』の≪お坊さんと他のひとがお唱えするお題目の功徳の違い≫について書いてます。

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