今回は、『妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそく)』のお話をしていきたいと思います。
「正直に生きる」という≪日蓮聖人の人生観≫について触れていきたいと思います。
前回は、日蓮聖人のお手紙『法華初心成仏鈔(ほっけしょしんじょうぶつしょう)』をお読みして、≪仏になるとは、どういうことか?≫ということについてお話させていただきました。
[kanren postid="1082"]法徳寺では、朝のおつとめのときに、お経を読んだ後、必ず日蓮聖人のお手紙を拝読させていただきます。
≪11日≫は『妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそく)』です。
今回は、「正直に生きる」という≪日蓮聖人の人生観≫について触れていきたいと思います。
この記事のもくじ
妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそく)の原文と【意訳】
妙密上人御消息にいわく
今日蓮は、已今當(いこんとう)の経文を深くまもり、一経の肝心(かんじん)たる題目を、我も唱え人にも勧む。麻の中の蓬(よもぎ)、墨(すみ)うてる木の、自体は正直ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるがごとし。
経のままに唱うれば、まがれる心なし。當(まさ)に知るべし。仏の御心の、我等が身に入らせ給わずば唱えがたきか。
(建治2年 身延にて 御年55歳 昭和定本遺文1166ページ)
POINT妙密上人御消息の【意訳】
日蓮は、法華経こそがお釈迦さまの本懐の「教え」であることを確かめて弘めてきた。
すなわち、法華経法師品には「已(すで)に説き、今説き、當に説かん。而もその中においてこの経最もこれ難信難解なり」という経文がある。
その意味は、法華経以前に説かれてきたお経、そして今説かれた無量義経、さらにこれから説かれるお経というように、さまざまなお経が説かれている中で、法華経が最も最大一の教えであるということである。
いま日蓮はこの趣旨を深く身に留めて、その大切なお題目を自らも一心に唱え、多くの人びとにも勧めてきた。
お題目の教えの功徳はちょうど、蓬(よもぎ)はすぐに地に倒れやすいけれども、まっすぐ伸びる麻(あさ)の中に生えていれば負けずにまっすぐに伸びようとするようなもの。
また、木はそれ自体はまっすぐでもなく、また四角でもあるはずはないが、その材木に墨を打って用いるならば、それによって自ずからまっすぐになって役立つようなものである。
ただひたすらに法華経の教えのとおりにお題目を唱えれば、私たち1人ひとりの心は自ずからまっすぐになって、曲がった心はなくなってしまう。
だから、私たちは知らなければならない───お題目を本当に「受けたもつ」するということは、お釈迦さまの「み心」が私たちのカラダに尊くもお入りになることがなければ、唱えることはできないか───ということを。
[aside type="normal"]- 已に説き、今説き、當に説かん
法華経以前に説かれた多くのお経(已)・法華経の開経である無量義経(今)・当に説こうとしている涅槃経(当)の、已今当(いこんとう)のすべてのお経よりも、法華経の教えが勝れているということ
「正直に生きる」というのが日蓮聖人の人生観
「正直に生きる」というのが日蓮聖人の宗教、そして人生観の根本です。
しかも、日蓮聖人が正直と言われているのは、ただ道徳的な意味にとどまることではなく、もっと根本的な意味をもっています。
すなわち、お釈迦さまの「み心」に忠実であること、ごく普通にいえば、仏教の根本精神に正直であることです。
お題目を一心に唱える力づよさは、このように正直にお釈迦さまの「み心」にしたがい、法華経の救いに身も心もゆだねるというところから生まれるのだと思います。
お題目を素直な心に受ける
お題目を一心に唱えると、なにか言い知れぬ力が沸きあがってくるような感激をおぼえます。それは体験した人でなければ理解できない、さわやかな力強さです。
無心に唱えるということ、これがほとんどすべての人の最初の信仰体験であると思います。人生のよろこびは苦しみと表裏一体の関係にあります。
悲しみのどん底につき落とされた人が、一心に唱えるお題目の功徳によって救われた事例は、枚挙にいとありません。
精神的に、どのように進んだらよいのかという悩みのさなかに迷っていた時、法華経の教えに心が洗われて、立ち直る人びとも数多く、はかり知ることができません。
お題目を唱えることは、「経のままに唱えれば、まがれる心なし」というお言葉に端的に示されるように、お釈迦さまの教えを素直に受け、その救いのなかに生きることなのです。
📢法徳寺では、私たちに≪法華経≫≪お題目≫を伝えてくれた御恩に報いる報恩感謝として、毎月≪13日≫に報恩会を行っております。
[日時]毎月13日 19:00~20:00
[場所]法徳寺(上記アクセスを参照にしてください)
※お問い合わせは、下記≪お問合せボタン🔘≫を押してください。
以上、
「「すでに説き」「今説き」「まさに説かん」|お題目を素直な心に受ける」
でした。
お読みいただき有難うございました。